4.11 原発反対デモin高円寺 Anti nuclear power protest

Fukushima: A Call for Women’s Leadership

by ARIEL SALLEH

Photo: Sandocap

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福島ー女性のリーダーシップへ

アリエル・サレー1

2011年3月11日、日本の福島原子力発電所が強力な地震と津波に襲われた。同定不能な地帯が居住不能になり,数千人もの人々が、自らの環境を侵す様々な放射能の毒性レベルを吸い込み,触れ、食し、飲まぬようにして暮している。オーストラリアのBHP Billiton社のオリンピック•ダムやRio Tintoグループのランガー鉱山が、この原子炉にウラニウムを輸出したと言われている。今や、混乱、怒り、病、身体障害が、今後幾年にもわたり、日本人の生活を特徴づけることになるだろう2

8万人以上の人々が、家を捨てざるを得なくなった。数千の人々が生きる糧を、あるいは当面は救援の希望を奪われている。賠償請求額は、千億ドルを超え、インフラや家屋の復興には、二千億ドル以上かかるという。その上、放射性物質を含む、二千万トンもの瓦礫を清掃する費用がかかり、今後、何十年にもわたる被災した原子炉を安定させ、解体する費用もある。これに加えて、被災人口と工場の移転、怪我の治癒や健康問題の解決があり、これら災害の費用は、ざっと450億ドル、日本の国内総生産の10%近くにもなるだろう。放射能汚染のため回収しえない、およそ千の遺体が放置されたままだが、それらはいつ誰が火葬し、何処に埋葬するのだろう?3

福島は住民を襲う事故だったが、原子力と軍備は、グローバルな生産機構において結合している。第二次大戦後、占領下の日本では、化学兵器が農場用の殺虫剤に転化し、原子力技術が都市電力に転用されるにつれて、経済成長期を迎える4

誰が否認によって得をするのか?

わたしが、原発被曝についてまともに考えるようになったのは、1976年にオーストラリアの小児科医ヘレン•カルディコットの講演を聞いてからであった。自分自身が母親であり、また当時先住民のコミュニティーで働いていたわたしは、その後、数日の内に、「Movement Against Uranium Mining」のシドニー支部の設立に参加し、数ヶ月の内に、ジョージ•ストリートで、10万人デモを実現した。「オーストラリア労働党」は、しばらくの間は民衆の声とともに主張していたが、間もなくその政治は、鉱山に奉仕する院外団に吸収されてゆく。合衆国では、カルディコットの公教育における活動は、エネルギー産業連合に支配されたメディアによって標的にされていた。最近ニューヨーク•タイムズへの手紙で彼女が指摘している様に、原子力産業は、公衆を欺くことによってのみ生きながらえることが出来る5。物理学者達は、許容される放射線量について斟酌するが、生物学者達は、そんなものはないことを知っている。放射能の身体破壊が現れるのは、時間がかかるのが事実なのだ。

原子力の否認は、公私の領域において進行している。1957年イギリス、カンバーランドのウインドスケール原子炉、1979年合衆国ペンシルバニア州のスリーマイルアイルランドなどの事故は、広報の専門家たちによってほとんど封殺された。1986年のチェルノブイリの炉心溶解を追って、面目を失ったソ連政府は、自らの市民への健康指導を怠った。カルディコットが観察するように、現在ベラルーシとウクライナには、奇形児で満たされた施設が多くある。チェルノブイリの雲がトルコに流れた時、指導者たちは、人民をパニックに陥れないことを目指すあまり、必要情報を検閲した。母親達の堕胎を助けた医師たちは刑務所に入れられ、それを報道しようとしたジャーナリスト達もまた刑務所送りになった。

癌の発生については、放射線学者ピーター•カラモスコスと治療医ジム•グリーンが、チェルノブイリに関して以下の様に説明している。

国際原子力機関(IAEA)は、チェルノブイリ事故から50年にわたって、総量およそ60万シーベルトの放射能排出を予測している。国際放射線防護委員会(ICRP)の危険度の査定によると1シーベルトあたり、0.05%の率で致命的な癌が発生する。そこから換算すると約3万件になる。

しかし彼らは次の様に付け加える。

人々が低線量の放射能に晒された状況においては、諸研究によって統計的に癌の発生率を提示することは難しい。これは、特定の癌の長い潜伏期間、病理発生のデータの限定性、他の様々なデータの間のギャップ、方法的困難など、多くの原因による広範囲の癌の発生に関する「統計的雑音」の故なのである6

原子力被害に関する因果性を測る公式は多岐にわたるが、そこには否認の問題が常にある7。福島における原子炉溶解以降、日本市民は、ますます東京電力と政府高官双方の透明性の不在に、惑わされて来た。世界保険機関(WHO)も国際原子力機関(IAEA)も、女性達に彼女らの生殖機能に対する被曝の影響についての情報を供給して来なかった8。まさにこの反情報(dis-information)こそが、今日の秩序なのである。『ウォール•ストリート•ジャーナル』は、近畿大学原子力研究所の若林源一郎の言葉を引用しているが、彼が主張するところによると、子供たちにとって放射能よりもより有害なのは、夏の間マスクをしたり屋内にこもること、だそうだ9

日本の人々はまた、地域の食物を食べて、国を支援することを奨励されている。それについてロジャー•ペルヴァースは言う。

福島の周りの海が、どれだけ汚染されているか、誰も知らない。そしてわれわれは今になってやっと、放射能が土地に対して持つ効果を理解しつつある。 汚染された何百キロもの福島産牛肉が、九州の鹿児島の市場でまで売られている。この肉は、政府の安全基準の五倍以上を記録する一キロあたり23百ベクレルの放射性セシウムを含んでいる。福島、山形、新潟の各県における648頭の牛が、汚染されたわらを食べていた。まぐさ自体が、一キロあたり5万7千ベクレルもの放射性物質を含んでいた10

抑圧は経済的/文化的である

原子力の危険を否認する人たちの自己利害は、同時に資本主義(経済)的と家父長制度(文化)的である11。心理的な否認が、富と権力と男性間の絆にやどる構造的階層序列を防衛している。だがこの報酬がせまくなっていく下層の階梯には、若者たち、先住民、専業主婦が、つまり新自由主義とその男性的覇権に対する「他者」が、位置づけられている。これらの「他者たち」は、軍産複合体に対する直接的な矛盾として存在している。だからこそ、彼女らそれぞれが、政治的変革のための視座と技術を相補的に持ち来らしている。しかしながら当論考におけるわたしの焦点は、女性、母親、主婦であり、彼女らの多くが同時に先住民であって、ことさら政治的企画に二重の力を与えている。自らの労働が人間身体と自然の生息地との繋がりを保持しいる彼女らこそが、経済的生産に対して社会的再生産を優先させているのだ。この視点こそが、「エコ•フェミニズム」と呼ばれる固有の政治的分析を生み出した。それは50年ほどまえに、あらゆる大陸の思想家や活動家たちの中から出現し、原子力問題を中心に据えたのだ12

エコロジー的闘争における女性達の復活がユニークなのは、彼女らの「女性」としての自己認識と闘争を結びつけた点であった。彼女らにとって汚染は、同時に内的であり、外的でもあり、かつ個人的であり、政治的でもあった。男性の対象化によって「女性性」を卑しめられた女性達は、自分達自身の言葉で、自己同一性を純化し,再構築する必要性を感じていた。エコ•フェミニストたちは、(彼女らが同定する)性的/性差的諸関係の社会的構築における3千年間の形成異常を拒絶したのだ。彼女らの政治的活動は、相互支援的な意識向上活動による心理的成長の重視と同時進行した。この革命的戦略は、深く実存をまき込むコミットメントである。だから彼女らは、環境問題に関わる兄弟たちが、それに平行して、略奪的なモデルに捕われた自己の考察をほとんど行わないことに、多いに絶望することになる。

それではこのラディカルな抵抗の形成期について短く触れ、それから「管理的」環境主義の勃興とそれによって培養された自由主義的フェミニズムに斟酌し、最後に日本における切迫した状況について考えてみよう。

エコロジー的フェミニズムの誕生

合衆国では1962年には既に、台所の母親たちや祖母たちによって、企業界に対する訴訟が行われていた。たとえばマリー•ヘイズ(対)コンエディソン、ローズ•ガフニー(対)パシフィック•ガス、シーブルックにおけるジャニー•ホニカー(対)シーブルック原子力規制委員会(NRC)である13。日本の女性達もまた、地域汚染に対するキャンペーンに貢献していた。たとえば、石牟礼道子は、1968年に水俣病対策市民会議」を設立した。また「生活クラブ」と呼ばれる画期的な生産者/消費者の協同組合が設立されたが、この経済的モデルは、20万人以上のメンバーの間に広がっていった14。パリ在住の文筆家フランソワ•ドウボンの『フェミニズムが死か』およびアメリカの社会民主主義者ローズマリー•ルーサーの『New Women: New Earth』が、エコフェミニズムに初期の趨勢を鼓舞した。西欧的支配の自己奇形化を推進する実践について推測的歴史が描かれた。ギリシャ語「オイコス(oikos)」は、エコロジーと経済、双方の語源なのだが、その後者が道を誤ったということである。

1974年、オクラホマ州のプルトニウム精製工場ケール+マクギーの組合員で、内部告発者だったカレン•シルクウッドが不信な死に方をする。1975年、ドイツのヴァールで、原子炉建設にために土地の整備が行われていたが、女性達がそれを封鎖妨害する。彼女らが言うには、これはブドウ園がなくなる経済的な損害よりも、「われわれの自然内存在」に係わっていた。1976年オーストラリアでは、ブリスベインの「Friends of the Earth」の女性たちが、女性とエコロジーについて会議をもち、その内の何人かが、新しい運動「Movement Against Uranium Mining」を打ち立てて行く。いくつかのメインストリームの女性雑誌さえも、女性と反原発問題について取り上げていく。1977年、南ダコタ州のインデアンのコミュニティーから、意識向上を目指すグループ「Women of All Red Nations – WARN」が出現する。彼女らはことさら、同胞を悩ませている兵器実験、流産、奇形児、白血病、不妊を問題にしていた15

女性達は、人工的につくられた必要性と消費主義、化粧品産業による動物搾取、再生利用、先住民の健康、そして無論,ウラニウムに関する論文を配布し始めた16。オーストラリアでは、分離主義的な反原発グループが設立されたーー東部諸州の「Women Against Nuclear Energy (WANE)、西部の「Feminist Anti Nuclear Group (FANG)である。パリ、ハンブルグ、コペンハーゲンでは、女性達のエコロジー系コレクティブが出発し、フェミニストによる有機農場コミューンの情宣が、あらゆる告知版に現われた。スーザン•グリフィンの『Woman and Nature: the Roaring Inside Her』が、1978年に出版された。エリザベス•ドッドソン•グレイの『Green Paradise Lost』が1979年それに続いた。それぞれの作者が、それぞれのやり方で、男性中心的自我構築の自己疎外——他の人々を統制することへの執着、軍事主義への憧憬、そしてそれらの伴侶である道具的論理と科学的計算——を分析した。女性達が求めたのは、新しい言語、理性と情熱を再出発させることの他ではなかった17

70年代の後半、「the US League of Women Voters」が、原子炉建設の許可証を停止するために、議会への働きかけを開始した。YMCAが、反原発教育のキャンペーンに関与し始めた。他方、「National Organization of Women (NOW)は、「シルクウッドの為の嘆きの日(National Day of Mourning for Silkwood)を設立した。さらに「Dykes Opposed to Nuclear Technology (DONT)」が、ニューヨークで、エネルギー危機なるものは、家父長制によってでっち上げられた偽の問題であることについて会議を開催し、同年モンタナ州で、女性とテクノロジーに関する会議を組織した。「Bremen Greens」に属すデルフィン•ブロックス•ブロショットは、世界中で何百万もの人々が飢餓に苦しんでいる時に、ハイテクの強化/拡大を停止するよう訴えた。いわゆる先進国においては何処でも、殺虫剤や除草剤、家具の表装や絶縁剤に使われるホルムアルデヒド、食品に使われている発癌性硝酸塩の防腐剤、磁器製品に使われる鉛のうわぐすり、などの労働者や子供達への影響に対する,女性達の陳情と抗議が勢いを増していった。だがジョイス•チェニーが指摘するように、そこには疲弊への道が待ち受けていた。

わたしは自分が、男たちが地球上に残した弊害を片付けさせられている気がすることに、いらだっている。生き延びること、生を肯定する文化を打ち立て保持する為の闘争だけで、すでに充分厳しい状況にあるのに(…)18

1980年「Women Opposed to Nuclear Technology (WONT)」というコレクティブが、イギリスのノッティンガムで、「女性達と反原発」会議を組織した。「Women in Solar Energy (WISE)」が、マサチューセッツ州アムハーストで会議を招集し、 イネストラ•キングが、第一回「女性達と生命」会議を開始した。1981年11月には、2千人強の女性達が、合衆国首都で行進し、象徴的行動としてペンタゴンを包囲した。その頃までには、「 Physicians for Social Responsibility」の責任者ヘレン•カルディコットが、合衆国50州と地域の分会を持つ「Women’s Party for Survival」を発足させた。これは以後、拡大され「Americans for Nuclear Disarmamentに結集する19。インドでは、マヌシ•コレクティブが、影響力を持つパンフレット『Drought: God Sent or man Made Disaster』を出版した20

科学史家キャロリン•マーチャントの古典『The Death of Nature: Women, Ecology and the Scientific Revolution』が、これ以降、学際世界で影響力を現し始める21。80年代中期には、合衆国では、次の様なネットワークが活動していた。シーブルック原子炉に対抗する「Lesbians United in Non-Nuclear Action (LUNA)」、「Church Women United」、「Feminists to Save Earth」、「Feminist Resources on Energy and Ecology」、スリーマイルアイランドやコロンビアのトリガ原子炉に対抗する「Dykes Opposed to Nuclear Technology (DONT)、ウォールストリートでデモに繰り出した「Women for Environmental Health」、パシフィック電気ガス会社に対抗する「Mothers and Future Mothers Against Radiation」、「Women Against Nuclear Development (WAND)」、「Spinsters Opposed to Nuclear Genocide (SONG)」、そしてユナイテッド•テクノロジーに対抗する「Dykes Against Nukes Concerned with Energy (DANCE)」などである。ソノマおよびサンディエゴ州立大学においては、いくつかの女性達による環境会議が開催された。

日本では、「忍草母の会」と呼ばれる祖母たちの野営決死隊が、富士山近辺の軍事訓練場の継続的なゲリラ阻止行動を行っていた。その間東京では、2千5百人の女性達が、世界平和の為に行進していた22。1981年にはイギリス各地で、「Women Opposed to Nuclear Technology」が、連携した非暴力直接行動部隊に成長していた。彼女らの多くは、後に グリーンハム•コモンのミサイル基地に対する絶え間ない包囲に結実する行動を開始する。さらにドイツでは、3千人の女性達が、 ラムスタインのNATO基地にデモ行動を仕掛けてゆく。オーストラリアでは、マーガレット•モーガンが、アルバリー地域の反原発組織を一本化していた。また『Sun Herald』新聞は、労働党と民主党の女性達の連携が、ウラニウム採掘禁止の解除に対抗していることを報道した。

1983年、新しいコレクティブ「Women’s Action Against Global Violence」が、シドニー近郊のルーカス•ハイツ原子力機関で野営行動をとる。それに続いて、パイン•ギャップにある合衆国秘密偵察基地の外で、先住民の男性/女性達とともに抗議行動を敢行する。初のエコ•フェミニズムの叢書『Reclaim the Earth』が、レオニー•カルドコットとステファニー•レランドによって編纂される23。キャンベラで開催された「環境,倫理、エコロジー」会議において、エコ•フェニストの女性達と、さほど性差を問題にしないディープ•エコロジストの間の議論が開始される24。イギリスの総選挙において、「Women for Life on Earth」と「Ecology Party」の間の共同公約が締結される。一年後には、エコ•フェミニストであるペトラ•ケリーに主導された「緑の党」が連邦議会に入会する。ケリーに関する情熱的伝記——『希望のための闘い』——は、彼女の反原発政治が、彼女が自らの姉妹の白血病による死をみとったことに起因していることを伝えている25

1986年に起こったソ連のチェルノブイリ原子炉事故は、資本主義も社会主義も共に信用出来ないことを女性達に警告することになった。ドイツと東ヨーロッパ全土で、「出産ストライキ」が、怒りを表明していた。トルコからフランスまでの各政府は、国民経済への影響を恐れて、環境を汚染する放射能の線量に関する必須の情報を抑えていたことに対してである。スカンジナビア北部のサミ族は、チェルノブイリの放射能汚染に対する公の嘘に対して、土地権利の最終的解決を以て挑んだ。地球の反対側のオーストラリアでは、コカタ族のジョーン•ウィングフィールドが、 50年代英国の核実験場だったマラリンガから ウイーンにおける国際原子力機関(IAEA)の会議に赴き発言した。ドイツの社会学者マリア•ミエスが、初の重要なエコ•フェニミズムの宣言ともいえる『Patriarchy and Accumulation on a World Scale』を出版した26。ハイテクによる進歩主義へのニューエイジ的拒絶としては、生態地域主義者チェリス•グレンディニングの『Waking Up in the Nuclear Age』が現われた。1987年、共に「Women Working for a Nuclear Free and Independent Pacific」に属すマーシャル諸島共和国のダーリーン•ケジュ•ジョンソンとパラオ共和国のロリーナ•ペドロが、合衆国の核実験によって、島々で骨のない奇形児が生まれ、太平洋各コミュニティーで癌が発生していることを明らかにした27

1987年、第一回「エコ•フェミニスト会議」が、南カリフォルニア大学構内で開催された。東西南北あらゆる場所において、女性達の地球上の生命への献身が、核の脅威、次世代再生産テクノロジー、毒性化学物質、先住民の自律、遺伝子工学、水の保護、動物搾取などの諸問題に四肢を延ばし挑戦した。劣化ウラニウムの使用が、バルカン半島と中東戦争に関する焦点となった。「Women’s International League for Peace (WILPF)」「Code Pink」「Madre」「the World Women’s March」が、これら多くの問題を探求し続けた28。この段階で、エコ•フェミニズムが政治の舞台に登場してから2世代を経ていたが、運動は経験、文化交差的ネットワーク、理論的洗練という意味で、成長し続けていた。環境倫理あるいはエコ社会主義におけるジェンダー的介入に関する議論が、大学のカリキュラム、学問的雑誌、各出版界において、当然のように扱われる様になった。ヴァンダナ•シヴァの国際的活動が、オルタナティブ•ノーベル賞によって認知された29

自由主義の巻き返し

エコ•フェミニズムは、自立主義的社会主義であり、エコロジーであり、ポスト植民地主義的運動であり、「もう一つの世界」を企画する上で,女性達の主導性を認知する事例である。とは言え、エコ•フェミニストの仕事は、フェミニズムと環境運動の双方における政治的性質の変容に影響されもしてきた。場合によっては、女性達のエコ政治的な再生の深みと複雑性に無自覚な一次元的思想家たちは、それを専業主婦の役割の公共的拡張以上に見ようとはしなかった。自由主義的フェミニスト達が書く論文は、押しつけがましく、また品位の低い「未だに母なる自然をもてあそんでいる」あるいは「エコ•フェミニズムを政治に呼び戻す」などという題名を使用した30。しかし今や広がりを持つようになったエコ•フェミニズムの文献を見ると、それが認識論から経済学に至っていたことが分かる。わたしの見るところ、体制側は、このラジカリズムについて早くから、不安を抱いていた。それは、女性達が彼女達自身の歴史を書くにつれ、多国籍企業が、環境アジェンダに関するグローバルな統制をとる為にーー構造的でイデオロギー的なーー機先を制するようになったことに示されている。

構造的な領域について言えば、新自由主義的な競争原理が、国際条約や国連の官僚機関の中に、合法的に埋め込まれるようになる。まず1982年に、ノルウェイのブラントランド委員会が、環境/資源維持のための「通貨浸透策」によって経済成長を目指すという物質的に矛盾した政策を慣例化した。その後1992年には、リオの環境首脳会議において、生態多様性の政治と環境変化会議をお膳立てすることで、これにてこ入れした31。その後すぐ、京都プロトコールと締約国気候変動会議(COP)が、新規に制度化された環境管理の言説に従うために走りまわる運動活動家たちを生み出すことになり、公衆は、「リスク分析」や「生態安全性」といった学問用語の複雑性から締出され、力を失っていくことになる。

国際的にお膳立てされた自由主義的環境保護の政治は、 国際政策についての「主流派の女性達」の視点を取り込む為に、国連、私設基金、政府に後援された女性のエコ組織の賛同を得ていく。女性達の「市民権」が、新しい自由主義の題目となった。合衆国議員の故ベラ•アブザグによって90年代初期に設立された「Women’s Environment and Development Organization (WEDO)が、これに重要な役割を果たした。かくして2007年12月、国連によって組織されたバリにおけるCOP13において、「Women in Europe for a Common Future」が、「きれいな発展メカニズム」から原子力を締出すことを強く要請されつつ設立された。そして男性覇権による難解な分析が、その支離滅裂さをあからさまにしている。

終わることのない国際環境会議が、女性達を「被害者」あるいは自然災害の対象として焦点化してゆく。そしてこの政策に自由主義的フェミニストとして参与する女たちが、男性優位の船を揺らせすぎないことで、専門家として賞賛されてゆく。このような危機の文化的文脈に対するエコ•フェミニスト的診断に場所はなくなる。またたとえばオセアニアの先住民女性の知識が、低炭素食料の現存するモデルとして認知されることもない。その代わりに、ドイツの環境、自然保護、原子力保安(?)を司る各省は、世界南部から女性たちを「気象順応と穏和」の「能力醸成」のために召集してゆく。こうした新自由主義的諸操作は、一見して「正義と環境資源維持」を目指すものだが、その方向性はあいも変わらぬビジネスによって統制されている。

イデオロギーの領域では、環境管理主義が、諸市民と諸政府の鎮静化のためのいくつかの技巧に依拠している。宣伝会社が、「グリーンウォッシュ」あるいは資本主義産業の地域的損害を最小に見せるために雇われる32。メディア商品としてエコロジーを売り物にすることが、少数の派手で偶像化したフェミニスト•スターに有利な方向で、草の根の声が語りかけることを薄めていく。ラジカルな運動のための主要な記録装置であるエコ•フェミニズムの政治がーー90%の資料が男性によって選択され掲示されるインターネットへの公衆の依拠のために、ラジカルな若者達の存在にもかかわらずーーさらに沈黙させられる。女性のエコロジー闘争への最終的なイデオロギー的攻撃が、大学を通してやって来た。90年代には、左からの分析が、新しいカルチュラル•スタディーズに乗っ取られ、多くの女子学生は、政治的テクストの脱構築的研究に集結していく。それは無邪気だがエリート的で、脅威にさらされたコミュニティーの問題を置き去りにした33

先住民的転回

ヨーロッパ中心主義的グローバリゼーションに携わる諸制度が、内側からの批判から身を守っている間、地理的周辺地域の民衆は、コロンバス500年を祝い始めていた。リオ•デジャネイロで開催された「1992 Earth Summit」において、草の根の環境政治が内破し、ポスト植民地主義の方へ向かって行く。南米の活動家たちによるこの視点の表明は大変豊かである。2009年、アレルンテ•トゥアレグの遊牧民やアコマ•プエブロからの反原発活動家たちがワシントンの権力に対して真実をぶちまけている間、ペルーでは第一回「Continental Summit of Indigenous Women」が、全生命の名において宣言を発していた。この前口上では、女性達が、性、階級、民族性、種を守る正義などに係わる縫い目なき諸政治を紡ぎ出していた。

われわれこそが、われわれの文化的/遺伝子的構成の運搬人であり水路なのだ。われわれが、命を身ごもり、抱きかかえるのだ。男性とともに、われわれが、家族のユニットと社会の枢軸を為しているのだ。われわれは、われわれの子宮と地球の子宮を繋げ、ラテンアメリカ大陸における新しい時代を生み出すのだ。そこでは多くの国々の数百万もの人々が、新自由主義体制によって貧困化させられ、抑圧、搾取、われわれの富の収奪に対して,もう沢山だという声をあげている。われわれはかくして、われわれの全大陸にわたり生起している解放闘争に参加しているのだ34

つまりボリビアのラパス市の「Mujeres Creando(創造する女たち)」は、「脱家父長化なくして、脱植民地化はありえない」と主張している35。ボリビアでは、この根っから統合的な先住民の政治が、2010年4月に、コチャバンバにおける「The Peoples Alternative Climate Summit」を開催させ、それが巨大機構の形式的経済による死の脅威にとって代わって、「十全に生きる」ための原理に基礎づけられた実質的な経済を発展させようとした36。2011年には、ヴァンダナ•シヴァやモウド•バーロウに近いサークルが、「母なる地球の諸権利」を国連に認可させようと試みた。

人権を保証するには、母なる地球とそこに存する全ての存在の諸権利を擁護すること、そしてそれを行っている文化、実践,法律が存在していることを肯定すること(…)37

利潤より生命を優先させること

現在進行中の地球温暖化の中で、世界原子力産業は、自らを石油に依拠する発電に対する「きれいな緑のアルタナティブ」として誇示している。しかしそれはあらゆる自然過程に対する脅威であるだけでなく、諸装置の設置技術やそれらの日々の運転はとてつもない量の電力を浪費している。それにもかかわらず、日本の支配階級と合衆国の協力企業は、シルヴィア•フェデリッチとジョージ•カフェンシスが指摘するように、より高度な科学とよりよい「技術管理」によって、原子力を復帰させようとしている。

この地震、津波、そして宿命的ともいえる原子炉の損傷の結果については、資本主義の発展の不足に責任を押し付けるのは不可能である。それどころか、ハイテク資本主義は大惨事からわれわれを守ることはなく、人々の逃げ場を奪い、ひたすらその生活を脅かすだけだということが明白になったのだ38

この兵器によって、「エコロジーの近代化」の幻想を求めるのは理性的でない。福島における炉心溶解は、ハリバートンのような再構築企業にとって、それがイラクでやったように、大もうけの機会なのだろうが、背広を着た男達の回転ドアは、「ビジネスとは別の方法による戦争でしかない」ことを知り抜いているのだ。

福島の危機は、政治の転換点になりえるのだろうか?日本の女性たち男性たちは、反原発運動の先駆であった。わたしは「Women and Life on Earth」の活動家で、「Plutonium Action」の代表だった故大庭里美のことを考えている39。また今や講演にひっぱりだこの樋口健二の絶えざる警告40。国際的エコフェミニスト平和グループCODE PINKの尾川寿江たちは、日本全土で活動している。「Friends of the Earth」は、女性や子供たちの必要性のために、より広い避難地域と高官たちの解雇を要請している。グリーン•ピースが、公衆の動員を鼓舞し、3月以降、原子力の廃絶を求める大きなデモが,日本中を凌駕している。怒れる母親たち専業主婦たちは、突如として政治化され、その何千人もが街路に出て来た。

この原子力災害は、この産業にたいする国際的な反対運動を再活性化し、この領域においてもまた女性団体が力を集中させている。インドのチェンナイで開催された「The Asian Rural Women’s Coalition」の会議が、インド、ビルマ、タイ、インドネシア、フィリピンにおける原発計画を弾劾した。「The Gender CC Network」は、定例の気候変動に関するキャンペーンを通して、原子力に異議を唱えている41。合衆国では、「National Organization of Women (NOW)」と「United Farm Workers」が、カリフォルニア産の牛乳に、日本からの放射性セシウムが蓄積されている可能性を調査している42。オーストラリアでは、先住民女性が、北部のマカティーにおける彼女らの居住地区に核廃棄物用地をつくるという政府の計画と闘い続けている43

国連の顧問をつとめるNGOである「The Asia Pacific Forum on Women, Law, and Development」は、最近、日本の総理大臣に宛てて手紙を書いた。それは暴力の被害者であり、パートタイム雇用の労働者でありながら、国全体の介護のほとんどを司っている、災害後の女性たちの傷つき易い立場について言及し、「東日本大震災復興構想会議

の16人のメンバーの内、女性が一人しかいないことを強調し、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)の決定の下での総理大臣の責務を主張した。それはまたジェンダー別の統計をつくり、ジェンダー別の予算を準備するよう要請した。そしてこの手紙は、日本政府に、地域女性組織の意見を聞くこと、県、市、町の自治体レベルにおいて、女性を計画/実行委員として参加させるよう要請した44

「東日本大震災復興構想会議」が女性に同数の参加を許さないで、この国は自らを民主主義と呼べるのだろうか?だが自由主義的フェミニストの達成が、日本を変えることに繋がるのだろうか?大きな国際環境会議における女性達の積極的優遇処置のように、それは単に不正で維持しようのない秩序に、上紙を貼るだけだろう。それに対して、エコ•フェミニストの政治こそが、福島を引き起こした根っから男性中心的利害を暴露し中性化する為には必須なのである。委員構成においてバランスをとることは必要だが、その「権限」を再定義することーーつまり利潤よりも生命を重視することーーが、より重要なのである。社会的介護の労働に携わる労働者たちは、「価値」や「安全」に関して,異なった考え方を持っている。だからこそ今日本では、女性達が主導権を握るべきなのである。

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1 アリエルサレーは、シドニー大学において経済学研究員であり、長年にわたる「Science for People」の活動家である。彼女はまた「エコ政治問題」についての書き手である。<http://www.arielsalleh.info>。

2 Jim Green, ‘Fukushima: The Political Fallout in Australia’, Chain Reaction, No. 112.

3 Roger Pulvers, ‘Japan after its Triple Disaster of 2011’, The Science Show, ABC Radio National, 23 July 2011 (accessed 7 August 2011).

4 軍産複合体こそが、世界最大の環境汚染者である。Michael Renner, ‘Assessing the military’s war on the environment’ in L. Brown et al. (eds.), State of the World Report, New York: Norton, 1991.

5 Helen Caldicott, ‘Unsafe at Any Dose’, New York Times, 30 April 2011:

http://www.nytimes.com/2011/05/01/opinion/01caldicott.html (accessed 11 August 2011).

6 Peter Karamoskos and Jim Green, ‘Do We Know the Chernobyl Death Toll?”, Chain Reaction, 2011, No. 112, 23.

7 オーストラリア企業Toro EnergyUranium OneHeathgate Resourcesは、放射能に対していだく大衆の心配を退ける科学者たちの講演旅行を後援している。Peter Karamoskos, ‘Radiating Risk and Undermining Public Health’, Online Opinion, 13 December 2010: http://www.onlineopinion.com.au/view.asp?article=11358 (accessed 13 August 2011).

8 Whitney Graham and Elena Nicklasson, Maternal Meltdown from Chernobyl to Fukushima’, Global Movement for Children, San Francisco, 26 April 2011: (accessed 11 August 2011).

9 Mariko Sanchanta and Mitsuri Obe, ‘Moms Turn Activists in Japanese Crisis’, Wall Street Journal, 17 June 2011 (accessed 11 August 2011).

10Pulvers, op. cit.

11 Chigaya Kinoshita, ‘The Shock Doctrine of Japanese Type: Neoliberalism and the Shadow of America’,29 May 2011, http://www.jfissures.org/: (accessed 14 August 2011).

12 以下に続く部分は,次の文献からとられている。Ariel Salleh, Ecofeminism as Politics: nature, Marx, and the postmodern, London/New York: Zed Books, 1997, chapter 2.また日本のエコフェミニズムについてはKeitaro Morita, ‘For a Better Environmental Communication: A Materialist Ecofeminist Analysis of Global Warming’, Rikkyo University, Tokyo: http://www.eca.usp.br/caligrama/english/06_keitaro.pdf (accessed 11 August 2011).

13 Dorothy Nelkin, ‘Nuclear Power as a Feminist Issue’, Environment, 1981, Vol. 23; Mary Goebel Noguchi, ‘The Rise of the Housewife Activist’,Yomiuri Shimbun, 1992, July/September.

14 Mike Danaher, ‘On the Forest Fringes?: Environmentalism, Left Politics and Feminism in Japan’, Transformations, 2003, No. 6.

http://transformations.cqu.edu.au/journal/issue_06/pdf/danaher.pdf (accessed 6 August 2011).

15 Carolyn Merchant, ‘Earthcare’, Environment, 1981, Vol. 23.

16 Friends of the Earth, Chain Reaction, 1978, Vol. 3, No. 4.

17 Susan Griffin, Woman and Nature: the Roaring Inside Her, New York: Harper, 1978; Elizabeth Dodson Gray, Green Paradise Lost, Wellesley, MA: Roundtable Press, 1979.

18 Joyce Cheney, ‘The Boys Got Us into This Mess’, Commonwoman, 1979, quoted by Nelkin, op. cit. p.38.

19 Helen Caldicott, correspondence with the author, 1982.

20 Manushi collective, ‘Dought: God Sent or Man Made Disaster?’, Manushi, 1980, No.6.

21 Carolyn Merchant, The Death of Nature: Women, Ecology and the Scientific Revolution, San Francisco: Harper, 1980.

22 Lynne Jones (ed.), Keeping the Peace, London, Women’s Press, 1983; Alice Cook and Gwyn Kirk, Greenham Women Everywhere, London: Pluto, 1983.

23 Leonie Caldecott and Stephanie Leland (eds.), Reclaim the Earth, London: Women’s Press, 1983.

24 ディープエコロジーについての議論は、the journal Environmental Ethics 1984-94.

25 Petra Kelly, Fighting for Hope, London: Chatto and Windus, 1984.

26 Maria Mies, Patriarchy and Accumulation on a World Scale, London: Zed Books, 1986; Chellis Glendinning, Waking Up in the Nuclear Age, New York: Morrow, 1987.

27 Women Working for a Nuclear Free and Independent Pacific (ed.), Pacific Women Speak, Oxford: Greenline, 1987.

28 WILPFおよびその他のフェミニスト組織のウェブサイトを参照。

29 Vandana Shiva, Staying Alive: Women, Ecology and Development, London: Zed Books, 1989.

30 Chris Cuomo, ‘Still Fooling with Mother Nature’, Hypatia, 2001, Vol. 16; Sherilyn MacGregor, ‘From Care to Citizenship: Calling Ecofeminism back to Politics’, Ethics and the Environment, 2004, Vol. 9.

31 Stephan Schmidheiny (ed.), Changing Course: A Global Business Perspective on Development and the Environment, Cambridge, MA: MIT Press, 1992.

32 Jed Greer and Kenny Bruno, Greenwash: The Reality Behind Corporate Environmentalism, Penang: Third World Network, 1996.

33 このあたりの全体的俯瞰は、Ariel Salleh, ‘Embodied Materialism in Action’, Polygraph: special issue on Ecology and Ideology, 2010, No. 22: <www.duke.edu/web/polygraph/cfp.html> (accessed 7 August 2011).

34 ‘First Continental Summit of Indigenous Women’, Lucha Indigena, Llapa Runaq Hatariynin, 34-Inti Raymi 2009. Translation by Marilyn Obeid, Sydney.

35 これについては、シルビアフェデリチとの個人的会話によっている。

36 Ariel Salleh, ‘Climate Strategy: Making the Choice between Ecological Modernisation or Living Well’, Journal of Australian Political Economy, 2011, No. 66.

37 Cormac Cullinan, ‘The Universal Declaration of the Rights of Mother Earth’ in Maude Barlow et al, Does Nature Have Rights? Ottawa: Council of Canadians, 2010.

38 Silvia Federici and George Caffentzis, ‘Must We Rebuild Their Anthill?’: https://jfissures.wordpress.com/2011/04/22: (accessed 6 August 2011).

39 See the Women and Life on Earth website for an obituary of Satomi Oba: http://www.wloe.org/Remembering-Satomi-Oba.513.0.html (accessed 7 August 2011).

40 Michael Chandler, ‘In Japan, New Attention for Longtime Anti-Nuclear Activist’, Washington Post, 11 April 2011 (accessed 7 August 2011).

41 See http://www.Gender_CC.org; also Meike Spitzner, ‘How Global Warming is Gendered’ in A. Salleh (ed.), Eco-Sufficiency & Global Justice: Women Write Political Ecology, London/New York: Pluto Press, 2009.

42 NOW, Media Release: ‘Spike in Infant Mortality in the Northwest Linked to Radiation Fallout from Fukushima Nuclear Power Plant Disaster’, 16 June 2011: http://www.canow.org (accessed 13 August 2011).

43 For more information: http://www.beyondnuclearinitiative.com.

44 Asia Pacific Forum on Women, Law and Development, Letter to Prime Minister Mr Naoto Kan, Prime Minister of Japan, 7 July 2011: http://www.apwld.org (accessed 8 July 2011).

PDF (日本語)

アリエル・サレー: シドニー大学政治経済学の研究者である。主に人間性と自然作用を可能にさせる労働/価値の形態に関心をよせている。西シドニー大学の助教授を経て、ルンド大学(スウェーデン)、ヨーク大学(カナダ)、フィリピン女性学研究所、ニューヨーク大学などで講義歴をもつ。また、集水域における政治や生物多様性の運動で長年の経験をもち、多くの国際ジャーナルで編集委員そして『Eco-Sufficiency & Global Justice』の編集を務める。著書『Ecofeminism as Politics』をはじめ、出版文献は150におよぶ。www.arielsalleh.info

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Fukushima: A Call for Women’s Leadership

Ariel Salleh1

On 11 March 2011, the Fukushima nuclear electricity plant in Japan was hit by a powerful earthquake and tsunami. An undetermined land area remains uninhabitable; thousands of people are trying not to breathe, touch, eat or drink, the toxic levels of radiation in their environment. It is believed that BHP Billiton’s Olympic Dam and Rio Tinto’s Ranger mine exported uranium from Australia to this reactor. Now, confusion and anger, sickness, and disability, will mark many Japanese lives for years to come.2

Over 80,000 people have been forced to abandon their homes. Thousands of people are now without a livelihood or the hope, in the near future, of rescuing one. Compensation claims are certain to be well over $100 billion; rebuilding of infrastructure and housing will cost at least $200 billion. Then there’s the cost of clearing over 20 million tonnes of rubbish, some of it radioactive, and the cost of securing and decommissioning the stricken reactors over the coming decades. Add to this the relocation of people and factories and the settling of injury and health issues, and the cost of this disaster will be in the neighbourhood of $450 billion, just a little under 10% of Japan’s GDP. There are an estimated 1,000 corpses too radioactive to retrieve. Even when they are, who will cremate or bury them, and where?3

Fukushima was a civilian incident, but nuclear power and military weapons are joined in the global production system. After World War II, occupied Japan would enter an economic boom as chemical weapons were converted into pesticides for farms and nuclear know-how turned into power for cities.4

Who is served by denial?

I started thinking seriously about nuclear radiation in 1976 after hearing a talk by the Australian pediatrician Dr Helen Caldicott. A mother myself, and worker in Aboriginal communities at the time, within days I was helping set up a Sydney branch of the Movement Against Uranium Mining and within months we had 100,000 people marching down George Street. For a while, the Australian Labor Party spoke with the people’s voice, but its political will gave way eventually to the mining lobby. In the US, Caldicott’s efforts at public education were also targetted through the energy cartel’s media outlets. As she points out in a recent letter to the New York Times, the nuclear industry can only survive by misleading the public.5 Physicists talk of a ‘permissible dose’ of radiation, but biologists know there is no such thing. The fact is that radiation damage in the body takes time to reveal itself.

Nuclear denial takes place in private and public sectors. Installation accidents at Windscale in Cumberland, UK, 1957, and at Three Mile Island in Pennsylvania, US, 1979, were largely ‘contained’ by public relations expertise. Following the meltdown at Chernobyl, USSR, 1986, an embarrassed Soviet government failed to guide its citizens with health advice. Caldicott observes that today, both Belarus and the Ukraine have group homes full of deformed children. After the Chernobyl cloud crossed Turkey, leaders were so determined not to panic ‘the people’ that relevant information was censored. Doctors who helped mothers terminate pregnancies were jailed, and journalists who tried to report this, were jailed too.

In terms of cancer outcomes, Peter Karamoskos, a nuclear radiologist, and medical doctor Jim Green, offer the following assessment of Chernobyl.

The International Atomic Energy Agency estimates a total collective dose of 600,000 Sieverts over 50 years from Chernobyl fallout. A standard risk assessment from the International Commission on Radiological Protection is 0.05 fatal cancers per Sievert. Multiply those figures and we get an estimated 30,000 fatal cancers.

But they go on to add that:

In circumstances where people are exposed to low-level radiation, studies are unlikely to be able to demonstrate a statistically significant increase in cancer rates. This is because of the ‘statistical noise’ in the form of widespread cancer incidence from many causes, the longer latency period for some cancers, limited data on disease incidence, and various other data gaps and methodological difficulties.6

Formulae for calculating nuclear casualties vary, but the problem of denial is a constant.7 Since the Fukushima meltdown, Japanese citizens have become increasingly disturbed by an absence of transparency from both the Tokyo Electric Power Company (TEPCO) and government officials. And neither the World Health Organisation, nor International Atomic Energy Agency, has provided women with information about radiation exposure effects on their reproductive function.8 If anything, dis-information is order of the day. A Wall Street Journal article quotes Genichiro Wakabayashi from Kinki University’s atomic-energy research institute, claiming that wearing masks or staying indoors during summer will harm children more than radiation will.9

So too, Japanese people have been encouraged to support their country by eating local produce. Yet as Roger Pulvers tells us:

No one knows how badly the sea around Fukushima has been contaminated, and we are only beginning to assess the effect that radiation has had on the land. Several hundred kilograms of tainted beef from Fukushima have been sold to markets as far away as Kagoshima on the southern island of Kyushu. This beef has registered up to 2,300 becquerels of radioactive caesium per kilo, more than five times the government-set safety limit. 648 head of cattle in Fukushima, Yamagata and Niigata Prefectures have eaten contaminated straw. It has been shown that the feed itself contained up to 57,000 becquerels of radioactive material per kilogram.10

Oppression is economic and cultural

The self-interest of those who deny nuclear risk is both capitalist (economic) and patriarchal (cultural).11 Psychological denial protects a structural hierarchy of wealth, power, and bonding opportunities between men. But near the lower rungs of this narrow ladder of rewards stand youth, indigenous peoples, and housewives – the ‘others’ of neoliberalism and its hegemonic masculinity. These ‘others’ exist in direct contradiction to the military-industrial complex, and they each bring complementary insights and skills to its political transformation. However, my focus in this essay is on women, mothers, housewives, many of whom are also indigenous, giving double-strength to their political work. People whose labour sustains human bodies and links to natural habitat prioritize social reproduction over economic production. This observation gives rise to a distinct political analysis known as eco-feminism. It emerged fifty years ago, from thinkers and activists on every continent, and the nuclear question was central to it.12

What is unique about women’s resurgence in ecological struggle is how they combined it with their self-understanding as ‘women’. Their focus on pollution was both inner and outer, personal and political. Women demeaned by men’s objectification of their ‘femininity’ felt a need to purify and rebuild a self-identity on their own terms. Ecofeminists rejected what they saw as 3,000 thousand years of mal-development in the social construction of sex-gender relations. Their political activity went hand-in-hand with attention to psychological growth in mutually supportive consciousness-raising sessions. This revolutionary strategy is a profound existential commitment. And women would come to be disappointed to find so few environmentalist brothers entering into a parallel reflection on selfhood under the predatory model.

After a short review of the formative years of this radical resistance, I will touch on the rise of ‘management’ environmentalism and its cultivation of liberal feminists, before coming home again to the urgent situation in Japan.

The birth of ecological feminism

In the US, as far back as 1962, law suits against the corporate world were coming out of the kitchens of mothers and grandmothers – Mary Hays v Consolidated Edison, Rose Gaffney v Pacific Gas, Jeannie Honicker v Nuclear Regulatory Commission, Kay Drey v Dresden Nuclear Power Plant, Dolly Weinhold v Nuclear Regulatory Commission at Seabrook.13 Japanese women were also foot soldiers in campaigns against local pollution. One, Ishimure Michiko founded the Citizens’ Congress on Minamata Disease Countermeasures in 1968. Others set up the path-breaking producer-consumer cooperative known as the Seikatsu Club – which economic model would grow to some 200,000 or more members.14 Parisian writer Francoise d’Eaubonne’s book, Le feminisme ou la mort, and US Democratic Socialist Rosemary Ruether’s New Woman: New Earth gave early intellectual impetus to ecofeminism. A conjectural history of the self-deforming practices of western mastery was drawn. If the Greek word ‘oikos’ was etymological root of both ecology and economics – the latter had lost its way.

In 1974, the unquiet death occurred of whistleblower Karen Silkwood, a unionist at Kerr-McGee’s Oklahoma plutonium processing factory. In 1975, women blockaded land clearing for construction of a nuclear reactor at Wyhl in Germany. More than economic loss of vineyards, they said, it was a matter of ‘our human-being-in-nature’. By 1976, in Australia, women Friends of the Earth in Brisbane were conferencing on women and ecology, and some taking a co-ordinating role in the new Movement Against Uranium Mining. Even the mainstream women’s magazines were printing pieces on women and the anti-nuclear issue. In 1977, a consciousness-raising group Women of All Red Nations (WARN) emerged among tribal Indians in South Dakota. They were especially worried about weapons tests, aborted and deformed babies, leukaemia and involuntary sterilisation among their people.15

Women circulated articles on artificial needs and consumerism, animal exploitation for cosmetic manufacture, recycling, indigenous health, and of course, uranium.16 Separatist anti-nuclear groups were established in Australia – Women Against Nuclear Energy (WANE) in the eastern states, and a Feminist Anti Nuclear Group (FANG) in the west. Women’s ecology collectives started up in Paris, Hamburg and Copenhagen, and ads for feminist organic farming communes appeared on every noticeboard. Susan Griffin’s Woman and Nature: the Roaring Inside Her was published in 1978. Elizabeth Dodson Gray’s Green Paradise Lost followed in 1979. Each author in her own way described the self-alienation of the andro-centric ego-construct; the obsession with control of ‘other’ peoples, the fascination with militarism, and its counterpart in instrumental logic and scientific calculation. Women wanted nothing less than a new language, reintegrating reason and passion.17

In the late 70s, the US League of Women Voters began lobbying for a moratorium on nuclear plant construction licences; the YWCA initiated an anti-nuclear education campaign; while the National Organisation of Women (NOW) instituted a National Day of Mourning for Silkwood. A further group – Dykes Opposed to Nuclear Technology (DONT), organised a New York conference on the energy crisis a patriarchally generated pseudo-problem, and a Women and Technology Conference was held in Montana the same year. Delphine Brox-Brochot of the Bremen Greens called for an end to high-tech aggrandisment while millions around the world still starve. Everywhere in the so called ‘developed world’, women’s political lobbies and protests over effects on workers and children of pesticides and herbicides, of formaldehyde in furniture covers and insulation, of carcinogenic nitrate preservatives in foods, of lead glazes on china, were gaining momentum. But there was a weary road ahead – to quote Joyce Cheney:

I am annoyed that I feel forced to deal with the mess the boys have made of the earth. It is a hard enough struggle to survive and to build and maintain a life-affirming culture….18

In 1980, a collective called Women Opposed to Nuclear Technology (WONT) organised a Women and Anti-Nuclear Conference in Nottingham, UK. Women in Solar Energy (WISE) began meeting in Amherst, Massachusetts, and Ynestra King mounted the first Women and Life on Earth Conference. By November 1981 a 2,000 strong body of women marched on the US capital, symbolically encircling the Pentagon. By now, Helen Caldicott, president of Physicians for Social Responsibility, had started a Women’s Party for Survival in the US, with some 50 state and local chapters. This was subsequently broadened to become Americans for Nuclear Disarmament.19 In India, the Manushi collective published their influential piece ‘Drought: God Sent or Man Made Disaster?’20

Historian of science Carolyn Merchant’s classic The Death of Nature: Women, Ecology and the Scientific Revolution began to make itself felt in academic circles from this time on.21 By the mid 80s, the following networks were operating in the US: Lesbians United in Non-Nuclear Action (LUNA) v Seabrook Reactor; Church Women United; Feminists to Save the Earth; Feminist Resources on Energy and Ecology; Dykes Opposed to Nuclear Technology (DONT) v Three Mile Island and Columbia’s TRIGA Reactor; Women for Environmental Health demonstrating in Wall street; Mothers and Future Mothers Against Radiation v Pacific Gas and Electricity; Women Against Nuclear Development (WAND); Spinsters Opposed to Nuclear Genocide (SONG), and Dykes Against Nukes Concerned with Energy (DANCE) v United Technology. Women’s environmental conferences were held at Somona and San Diego State universities.

In Japan, a kamakazi encampment of grandmothers known as the Shibokusa women were running continual guerilla disruptions on a military arsenal near Mt Fuji, while a further 2,500 women marched on Tokyo in the cause of world peace.22 By 1981, Women Opposed to Nuclear Technology had grown into a string of non-violent direct action cells around the UK; many began what would become the perennial encirclement of Greenham Common missile base; and in Germany 3,000 women were demonstrating at Ramstein NATO base. In Australia, Margaret Morgan drew together a rural anti-nuclear organisation at Albury, and the Sun Herald newspaper was reporting on Labor Party and Democrat women’s decisive inter-party policy stand against lifting bans on uranium-mining.

In 1983, a new collective, Women’s Action Against Global Violence was encamped at Lucas Heights Atomic Energy Establishment near Sydney. This was followed by a protest in the desert with Aboriginal men and women outside the secret US reconnaissance station at Pine Gap. A first ecofeminist anthology, Reclaim the Earth, was brought out by Leonie Caldecott and Stephanie Leland.23 An Environment, Ethics and Ecology Conference in Canberra opened up debate between women ecofeminists and not so gender aware deep ecologists.24 British elections saw a combined Women for Life on Earth & Ecology Party ticket; and a year later, ecofeminist Petra Kelly led Die Grunen into the Bundestag. Kelly’s passionate biography, translated as Fighting for Hope, told how her anti-nuclear politics began as she watched her young sister die of leukaemia.25

The soviet reactor accident at Chernobyl in 1986 alerted women to the lack of accountability in capitalism and socialism alike. Across Germany and Eastern Europe, a ‘birth strike’ expressed outrage, as governments from Turkey to France suppressed vital facts about environmental radiation levels for fear of damaging national economies. Sami people to the north of Scandinavia met official lies about post-Chernobyl radiation with a firm resolve for land rights. From the other side of the earth, Joan Wingfield of the Kokatha tribe flew from the Maralinga site of 1950s British bomb tests to address an International Atomic Energy Agency conference in Vienna. German sociologist Maria Mies published Patriarchy and Accumulation on a World Scale, the first substantial socialist ecofeminist statement.26 A more New Age rejection of high-tech ‘progress’ was US bioregionalist Chellis Glendinning’s Waking Up in the Nuclear Age. In 1987, Darlene Keju Johnson from the Marshall Islands and Lorena Pedro from Belau, both Women Working for a Nuclear Free and Independent Pacific, went public about the jelly fish babies born to islander women and cancers in ocean communities following US atom tests.27

The First International Ecofeminist Conference was held in 1987 on campus at the University of Southern California. North, south, east, and west, women’s commitment to life on earth now spanned the nuclear threat, reproductive technologies, toxic chemicals, indigenous autonomy, genetic engineering, water conservation, and animal exploitation. Depleted uranium would become a focus with the Balkan and Middle East wars. Women’s International League for Peace and Freedom (WILPF), Code Pink, Madre, and the World Women’s March continue to pursue many of these concerns.28 It is now two generations since ecofeminists came to politics, the movement continues to grow in experience, cross-cultural networks, and theoretical sophistication. Debates over gender literacy in environmental ethics or eco-socialist formulations have become standard fare for university courses, academic journals, and publishing houses. International initiatives by Vandana Shiva have even been recognised with an Alternative Nobel Prize.29

The liberal backlash

Ecofeminism is at once an autonomist socialism, an ecology, a postcolonial movement, and a case for respecting women’s initiatives in designing ‘another world’. This said: ecofeminist work has been affected by changes in the political character of both feminism and environmentalism. Occasionally, one-dimensional thinkers unaware of the depth and complexity of women’s eco-political renaissance, judged it to be little more than a public extension of the housewife role. Articles from liberal feminists used patronising and demeaning titles like ‘Still Fooling with Mother Nature’ and ‘Calling Ecofeminism Back to Politics’.30 But a glance at the now extensive literature of ecofeminism shows its reach from epistemology to economics. My sense is that the establishment had become uneasy about this radicalism quite early on, because as women were writing their herstory, transnational corporations stepped up proactive measures – structural and ideological – for taking global control of the environmental agenda.

In the structural domain, the principle of neoliberal competitiveness would be legally embedded in international treaties and bureaucratic agencies like the UN. First the 1982 Brundtland Commission routinised a materially contradictory policy of growth with ‘trickle down benefits’ for sustainability. Then the 1992 Rio Earth Summit leveraged this up, setting the politics of Bio-Diversity and Climate Change Conventions in motion.31 Soon the Kyoto Protocol and a rolling agenda of international COP meetings would have movement activists running to keep up with the newly institutionalised discourse of environmental management, and the public was carefully marginalised and disempowered by the academic complexities of ‘risk analysis’ and ‘biosecurity’.

The globally orchestrated politics of liberal environmentalism enlisted UN, private foundation, and government sponsorship of special women’s ecology organisations to ‘mainstream’ women’s views in international policy. Women’s ‘citizenship’ became the new liberal mantra. Women’s Environment and Development Organization (WEDO) founded by the late US Congresswoman Bella Abzug in the early 90s, played a big role in this. Thus, at the UN Framework Convention on Climate Change COP13 in Bali, December 2007, Women in Europe for a Common Future are found hard pressed keeping nuclear power out the Clean Development Mechanism. The depth analysis of hegemonic masculinity gives way to ironing out its incoherencies.

Interminable international environmental meetings focus on women as ‘victims’ or objects of natural disaster and women who play the liberal feminist card to this policy are rewarded as ‘professionals’ for not rocking the androcentric boat to much. There is no place for an ecofeminist diagnosis of the cultural context of such ‘crises’. Nor is the knowledge of indigenous women from say Oceania, acceptable as an existing model of low carbon provisioning. Instead, the German Federal Ministry for the Environment, Nature Conservation, and Nuclear Safety (?) will draft women from the global South into ‘capacity building’ workshops for ‘climate adaptation and mitigation’. While such neoliberal operations are ostensibly about ‘justice and sustainability’, the orientation is always framed by business as usual.

In the ideological domain, management environmentalism relies on several techniques for the pacification of citizens and governments. Public relations firms are employed to ‘greenwash’ or minimise local damage from capitalist industrial enterprises.32 Again, the packaging of ecology as a media commodity thins out the reporting of grassroots voices in favour of a few colourful and iconic feminist ‘personalities’. A further silencing of ecofeminist politics has occurred as a result of public reliance on the internet as chief recorder of radical movements – since 90 per cent of web based material is selected and posted men – radical youth notwithstanding. A final ideological assault on women’s ecological struggles has come through the universities. In the 90s, as Left analysis was overtaken by a new field of cultural studies, many women students took to the deconstructive study of political texts, an innocent but elitist move, leaving the concerns of threatened communities far behind.33

The indigenous turn

While the institutions of eurocentric globalisation insured themselves against critique from within, peoples at the geographic periphery began celebrating the 500th year of Columbus. Then, at the 1992 Earth Summit in Rio de Janeiro, grassroots environmental politics would implode, taking a distinctly postcolonial turn. The articulation of this perspective by South American activists is very rich. In 2009, as anti-nuclear activists from the Arrernte, Tuareg nomads, and Acoma Pueblo, spoke truth to power in Washington, a First Continental Summit of Indigenous Women in Peru produced a Manifesto in the cause of all life. The preamble to the document shows the women weaving together a seamless politics of sex, class, ethnicity, and species justice.

We are the carriers, conduits of our cultural and genetic make-up; we gestate and brood life; together with men, we are the axis of the family unit and society. We join our wombs to our mother earth’s womb to give birth to new times in this Latin American continent where in many countries millions of people, impoverished by the neo-liberal system, raise their voices to say ENOUGH to oppression, exploitation and the looting of our wealth. We therefore join in the liberation struggles taking place throughout our continent. 34

In short, from the Mujeres Creando of La Paz: ‘You cannot decolonize without de-patriarchalizing’.35 In Bolivia, this deeply integrative indigenous politics opened into The Peoples Alternative Climate Summit at Cochabamba, April 2010, advancing a substantive economy based on the principle of ‘living well’, to replace the death risking formal economy of the mega-machine.36 In 2011, the circle closes with Vandana Shiva and Maude Barlow seeking UN ratification of a Declaration of the Rights of Mother Earth:

affirming that to guarantee human rights it is necessary to recognize and defend the rights of Mother Earth and all beings in her and that there are existing cultures, practices and laws that do so …37

Putting life before profit

In the current crisis of global warming, the international nuclear industry presents itself as ‘a clean, green, alternative’ to fossil fuel based power generation. But not only is it a threat to all natural processes, the engineering of installation components and their daily operation draws massive amounts of electric power. Nevertheless, Japan’s ruling class with US corporate partners aims to put nuclear power back on track with more science and better ‘technocratic management’, even as Silvia Federici and George Caffentzis point out:

… the damaged nuclear reactors can hardly be blamed on the lack of capitalist development. On the contrary, they are the clearest evidence that high tech capitalism does not protect us against catastrophes, and it only intensifies their threat to human life while blocking any escape route.38

It is not rational to pursue a fantasy of ‘ecological modernisation’ by means of this arsenal. The Fukushima meltdown may be a bonanza for reconstruction companies like Haliburton once they’re done in Iraq, but the revolving door of men in suits know well that ‘business is merely war by other means’.

Can the crisis of Fukushima become a political turning point? Japanese women and men have pioneered nuclear resistance. I think of the late Women and Life on Earth activist, Satomi Oba, president of Plutonium Action, Hiroshima.39 And the perennial warnings of Kenji Higuchi, much sought after for the lecture circuit now.40 Hisae Ogawa and others in the international ecofeminist peace organisation Code Pink are working all over Japan. Friends of the Earth is attending the special needs of women and children, demanding wider evacuation zones, and sackings in high places. Greenpeace is encouraging the public to mobilise, and in the months since March, mass demonstrations have rolled across Japan urging the end of nuclear power. Suddenly politicised, angry mothers and housewives have taken to the streets in their thousands.

This nuclear disaster has re-energised international opposition to the industry and here too, women’s organisations are highly focused. The Asian Rural Women’s Coalition meeting in Chennai has condemned plans for nuclear power plants in India, Burma, Thailand, Indonesia and the Philippines. The Gender_CC Network is contesting nuclear power through its regular climate change campaigning.41 In the US, the National Organization of Women (NOW) and United Farm Workers are looking into the possibility of bioaccumulation of radioactive cesium from Japan in California cows milk.42 In Australia, indigenous women continue fighting the government’s proposed nuclear waste site on their land at Muckaty, Northern Territory.43

The Asia Pacific Forum on Women, Law and Development, an NGO with consultative status to the UN, recently wrote to the Prime Minister of Japan, observing the unique vulnerability of women in post-disaster situations – as objects of violence, as part-time employed, and as those doing most of the country’s care work. They noted only one woman among the 16 members of the Reconstruction Design Council. They referred the Prime Minister to Japan’s obligations under the United Nation’s Committee on the Elimination of Discrimination Against Women (CEDAW). They urged that gender disaggregated statistics be collected to prepare gender specific budgets. And the letter requests the Japanese government to exercise accountability by consulting with local women’s organisations and promoting women’s participation as planners and decision makers at prefecture, municipal, and town council levels. 44

How can a country call itself a democracy when it does not give women equal seats on its Reconstruction Design Council? Yet would the achievement of this liberal feminist objective actually turn Japan around? Like the affirmative action for women at big international environment meetings, it would simply paper over an unjust and unsustainable order. An ecofeminist politics is essential to expose and neutralise the deeply cultural androcentric interests that let Fukushima happen. A balanced committee is one thing, but it is even more essential to redefine its ‘terms of reference’ – putting life before profit. Workers responsible for the labour of social care think differently about ‘value’ and ‘security’ – this is why women must take leadership in Japan now.

1 Ariel Salleh is a researcher in Political Economy at the University of Sydney; longtime Science for People activist; and writer on eco-political matters: http://www.arielsalleh.info

2 Jim Green, ‘Fukushima: The Political Fallout in Australia’, Chain Reaction, No. 112.

3Roger Pulvers, ‘Japan after its Triple Disaster of 2011’, The Science Show, ABC Radio National, 23 July 2011 (accessed 7 August 2011).

4The military-industrial complex is the world’s foremost environmental polluter. Michael Renner, ‘Assessing the military’s war on the environment’ in L. Brown et al. (eds.), State of the World Report, New York: Norton, 1991.

5Helen Caldicott, ‘Unsafe at Any Dose’, New York Times, 30 April 2011:

http://www.nytimes.com/2011/05/01/opinion/01caldicott.html (accessed 11 August 2011).

6 Peter Karamoskos and Jim Green, ‘Do We Know the Chernobyl Death Toll?”, Chain Reaction, 2011, No. 112, 23.

7 The Australian firms, Toro Energy, Uranium One, and Heathgate Resources have sponsored lecture tours by scientists who dismiss public concerns about radiation. Peter Karamoskos, ‘Radiating Risk and Undermining Public Health’, Online Opinion, 13 December 2010: http://www.onlineopinion.com.au/view.asp?article=11358 (accessed 13 August 2011).

8Whitney Graham and Elena Nicklasson, Maternal Meltdown from Chernobyl to Fukushima’, Global Movement for Children, San Francisco, 26 April 2011: (accessed 11 August 2011).

9Mariko Sanchanta and Mitsuri Obe, ‘Moms Turn Activists in Japanese Crisis’, Wall Street Journal, 17 June 2011 (accessed 11 August 2011).

10Pulvers, op. cit.

11Chigaya Kinoshita, ‘The Shock Doctrine of Japanese Type: Neoliberalism and the Shadow of America’,29 May 2011, http://www.jfissures.org/: (accessed 14 August 2011).

12 The section that follows draws on Ariel Salleh, Ecofeminism as Politics: nature, Marx, and the postmodern, London/New York: Zed Books, 1997, chapter 2.

For sources on Japanese ecofeminism: Keitaro Morita, ‘For a Better Environmental Communication:A Materialist Ecofeminist Analysis of Global Warming’, RikkyoUniversity, Tokyo:http://www.eca.usp.br/caligrama/english/06_keitaro.pdf (accessed 11 August 2011).

13Dorothy Nelkin, ‘Nuclear Power as a Feminist Issue’, Environment, 1981, Vol. 23; Mary Goebel Noguchi, ‘The Rise of the Housewife Activist’,Yomiuri Shimbun, 1992, July/September.

14Mike Danaher, ‘On the Forest Fringes?: Environmentalism, Left Politics and Feminism in Japan’, Transformations, 2003, No. 6.

http://transformations.cqu.edu.au/journal/issue_06/pdf/danaher.pdf (accessed 6 August 2011).

15Carolyn Merchant, ‘Earthcare’, Environment, 1981, Vol. 23.

16Friends of the Earth, Chain Reaction, 1978, Vol. 3, No. 4.

17Susan Griffin, Woman and Nature: the Roaring Inside Her, New York: Harper, 1978; Elizabeth Dodson Gray, Green Paradise Lost, Wellesley, MA: Roundtable Press, 1979.

18Joyce Cheney, ‘The Boys Got Us into This Mess’, Commonwoman, 1979, quoted by Nelkin, op. cit. p.38.

19Helen Caldicott, correspondence with the author, 1982.

20Manushi collective, ‘Dought: God Sent or Man Made Disaster?’, Manushi, 1980, No.6.

21 Carolyn Merchant, The Death of Nature: Women, Ecology and the Scientific Revolution, San Francisco: Harper, 1980.

22Lynne Jones (ed.), Keeping the Peace, London, Women’s Press, 1983; Alice Cook and Gwyn Kirk, Greenham Women Everywhere, London: Pluto, 1983.

23 Leonie Caldecott and Stephanie Leland (eds.), Reclaim the Earth, London: Women’s Press, 1983.

24On the deep ecology debate see the journal Environmental Ethics 1984-94.

25Petra Kelly, Fighting for Hope, London: Chatto and Windus, 1984.

26 Maria Mies, Patriarchy and Accumulation on a World Scale, London: Zed Books, 1986; Chellis Glendinning, Waking Up in the Nuclear Age, New York: Morrow, 1987.

27Women Working for a Nuclear Free and Independent Pacific (ed.), Pacific Women Speak, Oxford: Greenline, 1987.

28See WILPF and other feminist organisational websites for details.

29 Vandana Shiva, Staying Alive: Women, Ecology and Development, London: Zed Books, 1989.

30Chris Cuomo, ‘Still Fooling with Mother Nature’, Hypatia, 2001, Vol. 16; Sherilyn MacGregor, ‘From Care to Citizenship: Calling Ecofeminism back to Politics’, Ethics and the Environment, 2004, Vol. 9.

31 Stephan Schmidheiny (ed.), Changing Course: A Global Business Perspective on Development and the Environment, Cambridge, MA: MIT Press, 1992.

32 Jed Greer and Kenny Bruno, Greenwash: The Reality Behind Corporate Environmentalism, Penang: Third World Network, 1996.

33 For an overview, Ariel Salleh, ‘Embodied Materialism in Action’, Polygraph: special issue on Ecology and Ideology, 2010, No. 22: <www.duke.edu/web/polygraph/cfp.html> (accessed 7 August 2011).

34First Continental Summit of Indigenous Women’, Lucha Indigena,Llapa Runaq Hatariynin, 34-Inti Raymi 2009. Translation by Marilyn Obeid, Sydney.

35 Personal communication Silvia Federici, 15 February 2011.

36 Ariel Salleh, ‘Climate Strategy: Making the Choice between Ecological Modernisation or Living Well’, Journal of Australian Political Economy, 2011, No. 66.

37 Cormac Cullinan, ‘The Universal Declaration of the Rights of Mother Earth’ in Maude Barlow et al, Does Nature Have Rights? Ottawa: Council of Canadians, 2010.

38 Silvia Federici and George Caffentzis, ‘Must We Rebuild Their Anthill?’: https://jfissures.wordpress.com/2011/04/22: (accessed 6 August 2011).

39 See the Women and Life on Earth website for an obituary of Satomi Oba: http://www.wloe.org/Remembering-Satomi-Oba.513.0.html (accessed 7 August 2011).

40Michael Chandler, ‘In Japan, New Attention for Longtime Anti-Nuclear Activist’, Washington Post, 11 April 2011 (accessed 7 August 2011).

41 See http://www.Gender_CC.org; also Meike Spitzner, ‘How Global Warming is Gendered’ in A. Salleh (ed.), Eco-Sufficiency & Global Justice: Women Write Political Ecology, London/New York: Pluto Press, 2009.

42NOW, Media Release: ‘Spike in Infant Mortality in the Northwest Linked to Radiation Fallout from Fukushima Nuclear Power Plant Disaster’, 16 June 2011: http://www.canow.org (accessed 13 August 2011).

44Asia Pacific Forum on Women, Law and Development, Letter to Prime Minister Mr Naoto Kan, Prime Minister of Japan, 7 July 2011: http://www.apwld.org (accessed 8 July 2011).

 PDF (English)

Ariel Salleh is a sociologist of knowledge researching in Political Economy at the University of Sydney. Her particular interest is forms of labour and value that enable the humanity-nature metabolism. She was formerly Associate Professor in the School of Social Ecology at UWS; and has lectured at Lund University, Sweden; York University, Canada; IWS, Philippines; and New York University. She is an experienced activist in biodiversity and catchment politics; serves on several international journal editorial boards; is author of Ecofeminism as Politics (1997); some 150 published articles and chapters; and editor of Eco-Sufficiency & Global Justice (2009) – www.arielsalleh.info

 

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