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An Elementary Algebra of Common Goods and Evils

by FERRUCCIO GAMBINO
Photo: Kyodo News / AP Photo
(Originally written in Italian, English translation below)

共通の善と共通の悪の基本代数

フェルッチオガンビーノ1

(和訳:マヌエルヤン+ jfissures

1: 共通の善/共有物と共通の悪を理解し、概念化する前から、資本主義はそれらにまつわる基本代数を使用していた。むかし、資本は損失の社会化と利潤の私有化の為にあると言われていた。しかし、ある部門において、利潤と地代双方にとっての複合有利が、共有化された悪しきものとねじれた形でつなげられている。この現象をことさら明瞭に示しているのは原子力部門である。

1.1: 一日に350回の地震が記録される地球上の水、風、空気、そして他の多くの要素は、汚染されていない限り、共有の善/共有物である。汚染されると、それらのものはあらゆる生命体にとって一連の異常な不利を残し、したがって共通の悪となる。再び共通の善/共有物になる為には、様々な異なった汚染要素は可能ならば「非汚染」されねばならない。それらが元の姿に戻されるそのときにのみ、共有の善/共有物に再びなりえる。一般の水は共通の善/共有物だが、メルトダウンの後、原子炉から放出される放射能汚染水は、もはや共通の善/共有物ではなく、強制的に共有化された悪となり、共通の悪として社会に押しつけられる。公共と私有の権力はそのような損傷した原発を通して、確定(そしてしばしば確定しえない)範囲にいる周囲の人口全てに被害を垂れ流す。

1.2:産業活動の領域において、共通善から共通悪への変容が最も顕著な例は、核エネルギーである。ことさら合衆国においてそうだったが、ソ連やその他の国においても、1930年代の終わりから(かなり長い間)主に戦争目的の為に、他の諸部門とは裏腹に、原子力軍隊の誕生と拡張は国庫から資金給与されてきた。物理学者エンリコフェルミは、当時、原子力が素晴らしい新エネルギーであると主張していたが、それを開発する要求が何よりもまず絶対的武器を創るための競争になった、これが何故だったのかを問うことは1940年代においてでさえ可能だったはずである。

しかし、戦後、原子力は平和目的のエネルギーとして公衆に売却された。多くの理由により、アメリカにおいて、民間の原子力発電所は政府によって直接融資されなかったし今もされていない、それは私的に融資されている、このことは明記するべきである。だが他方、事故や災害の際に、発電所にかかる保険金額の限界を設けるという気違いじみた法規によって、発電所への投資者たちを国家は保護した。最終段階において、原子炉は政府の基金によるものである。何故ならば、この私的責任限界は、原子力発電所における甚大な事故がいつか生み出すことになる損害費用のほんのわずかな一部分でしかないのだから。

全原子力保有国の公共的/私的領域の双方における原子力部門全ての軍事化を、「平和的」原子力利用の危険とそれに伴う脅威が大衆的に認可させたのは事実である。この主題について言えることは沢山あるが、私の発言は少しだけの観察にとどめることにしよう。

1.3:「核時代」の最初の数十年以来、ほとんどの国における原子力発電所の建設と運営は、公共基金と融資に依存していた。私有資本は、きわめて少額のキャッシュを提供するだけで、周縁的な役割しか担っていなかったが、発電所の管理を受け持ち、その役割から利潤を引き出し、消費者に経費負担させることによって私有資本はいずれ秘かに介入していくことになる。原子力災害において、私有資本家たちは二重の鎧によって防御されている。一方では、公共資金が最終的な債権者であり、他方では、避難、入院/治療の請求書、そして最終的に放射性廃棄物の処理は公共資金によって支払われる。言い換えると、核エネルギーの私的管理は、緊急事態に対処するという名目で公共的な財庫から税金を捕獲しつつ、包み隠されているが継続的な恐怖統治の下に、大多数の人口を恐喝に晒してきたのだ。

1.4:原子力発電所の維持とその就役を解く費用、数千年にもおよぶ放射性廃棄物の管理は、とてつもない税金と汚染の重荷を民衆に押しつける。ともかく、数千年にわたりミノタウルスに血と労働の年貢を納めるように民衆は強いられている。しばしば、一種の地域的に特有な共謀によって、国家は危険な廃棄物を海外の沿岸に埋蔵するために海外の政権を退廃させることを試み、多くの場合成功している。滑稽なセメント樽に包まれた放射性廃棄物で満たされた貯蔵地が、時がたつにつれ、上質皮紙で包まれているぐらいにしか保護されていないことは公然の秘密である。核廃棄物をどうすれば良いのか本当は誰も知らないし、解毒されるのに必要な数千年という弧の中で処理の仕方を記憶する者は誰もいないだろう。

1.5: 21世紀の最初の20年の始めである今日、電気を供給している原子力発電所は世界に約627機ある。それらの内のいくつかは、建設以降数年の間に損傷している。さらに長期になれば、数年ではなく、数千年に渡り、損傷した発電所の何千平方マイルもの周辺地域全体が砂漠化する確率が高い。新しい原子力開発企画が及ぼす影響はどのような大地域であれ同じだろう――聖書的時間で測定される時間の流れの中にある接近不能な砂漠の創造である。

1.6:(イタリアや日本のような)人口密度の高い国々では、壊れた発電所における有害な環境は二つの様相において現れる――まず、一般大衆に影響を及ぼす放射能、それは(芸能人や高級ブルジョアの居住地からはまだ遠い)核の位置から数千平方マイルの半径において、癌から先天性欠損症など重大な疾患を生み出す放射能として、そして、第二に、もっと近い距離においては、発電所で働く労働者に直接影響を及ぼす放射能として。その双方の場合にも、空間と距離が、被害の分布を決定するものであるように見える。しかし現実において、この分布は階級分離および階級とジェンダーの構造における立場という尺度に従っている。

1.6.1:たとえば2011年春に発生した東京電力福島原発のような典型的な原子力災害の後の労働状況の場合、東京電力から直接給与されている少数の長期雇用労働者と、請負業者そして沢山の下請け業者に繋がり、福島において被災した三機の原子炉および日本にあるその他18の発電所の52機の原子炉の整備を任されている多数の(未熟練と扱われ低賃金をもらっている)プレカリアート(不安定)労働者の間に、この分離は克明に現われている。日本における核産業に就業する8万3千人の88%(つまり、もっと正確には7万3千人)をプリカリアートが構成している。原子力災害に先立つ12ヶ月の間、福島では、放射能被曝の危険性の度合いに応じて、1万303人の労働者の89%は請負業者の賃金階梯の上下に位置づけられ、放射能被爆が増加するとともに給料と危険が上げられた。災害の後、監査官や東京電力技術者が発電所に入れるように、彼らは使用燃料の貯蔵庫をモップや雑巾で掃除しながら、維持不能な放射能被曝の難題に直面した。汚染された廃棄物をゴミ容器に捨てる作業を極寒の中で彼らはやらねばなかった。

非常に有害な作業において常にそうであるように、労働者募集はいつも無原則な環境で為されてきたようだ――長期の不況と多大な失業を経験してきた荒廃した工事現場において、田舎の貧困労働者の中から、地域のヤクザに組織された暴力手配師の間で。いつでもどこでも、即刻解雇の懲罰に脅されて、原子力発電所のプレカリアートは、職場で受けた傷や挫傷を隠すように目論まれている。福島での災害の後、放射能に対する一般的な恐怖のために、それ以前より高い賃金をプレカリアートに支払うと申し出てきた。一日二時間の労働に約$350、これは一日の労働時間がより長かった以前の給与の二倍以上である。つまり彼らは恐怖の賃金を受け取っているのだ。1980年代以降に被曝量が低下したため、労働条件は一般的に1990年代の方が良かったが、それ以後、短縮された労働時間にもかかわらず、使用不能になった原子炉における事故の増加に伴い、被曝量は再び増加し始める。

実際、放射能の生け贄になる人々の集団は消え去っていない。それどころか、人命の生け贄は組織的になった――彼らそれぞれの放射能の少量被曝から、彼らそれぞれが初期症状を呈するやいなや職を失うことまで(「彼ら」というのは、これらの労働者の殆どが男性だからである)。端的に言って、これは原子力社会主義と呼ぶべきものである。

(日本では)原子力発電の領域において、プレカリアートの労働組合が発足したのは1980年代であり、このような状況と闘う為にいくつかの要求事項を掲げていたが,その中で顕著なものは、被曝量に関する偽データの流布、そして安全対策が回避されていることを検査官に虚偽の証言をするよう労働者が厳しく命令されていること、この両方を撤廃する要求であった。最初の180人の労働者が組合員になる署名をした後、民主主義国日本において、身元不明の暴漢は、組合の事務局員が宿泊しているアパートの扉を破り、彼らと家族を恐喝した。明らかに、核エネルギーは民主主義を形作っている(その逆ではないのだ!)。簡単に言うと、組合員の間で言われている様に、「発電所構内に入れば,全ては秘密になるので、人は黙っていなければならないのだ。

1.7:1940年代と50年代に軍事の世界で作り上げられた原子力労働の範疇は、軍隊を手本とした三部隊の一般的範疇によって構成されている。第一かつ最高位は、自分らのオリンポス山においては不可視だが、完全に安全ではない科学者、企画者、戦略家。第二位は、職は安定しているが、危険な放射性物質にもう少し晒されている検査官、技術者、プログラマー。底辺の位は、海軍で「基底部隊(base force)」と呼ばれる、プレカリアートの「サービス」労働者。Aメン、Bメン、そしてその他、と三段階梯に分割された1950年代アメリカの西海岸の港湾労働者から、全世界中の労働階級層の次から次へと感染し、感染し続けている不正規労働という現代的疫病に至るまで、この図式はますます多くの職場に適応されてきている。

誰でも自分の仕事から発散する危険を正確に管理している。影響された人々が合衆国で行われ初めて来ている様に自己組織化をしない限り、電力会社が保持している健康統計における機密データのでまかせの収集と隠蔽は、恐怖と病の管理を私的で孤独な事柄にしてしまう。

1.8:原子力発電所は原子力国家を必要とする。行政権を誰に授与するのかを投票で選ぶ定期的な選挙を許す意味において、原子力国家は民主主義の色つやを帯びることさえある。しかし、実際には、人は投票することによって、自らを(統制化)に「“de-voted”(脱投票化される/捧げられる)のである。どのような立候補者のリストが当選しようと、原子力国家において投票人たることは不可避的な虚偽である(その上さらに、国民の規律と虚言の通常の流通においてどのような不連続性をも原子力国家は許すことが出来ない)。

1.9:信頼しえる情報の不在は原子力国家の特徴の一つである。それは東においても西においても巨大な欺瞞の鍛冶場であったし、今もそうである。原子力国家の情報の抑制とあからさまな詐欺は、2011年にWikileaksが見事に書類提出した外交上の虚偽の数々よりも、はるかに大きなものである。この秘密は原子力支配階級のよこしまな団結の道具であり、おとなしく服従し、無人地帯に住むことを期待されている大衆に与えられる麻薬的情報との共謀の一部分である。この無人地帯において、原子力化は、国家権力によって推進される囲い込みの一様態であり、いわゆる「ガバナンス(統治)」という怪物たちによって合法化され、かつ強要されている。

 

ジョージカフェンシス(英訳者)の注:

ベルルスコーニ政権が計画してきた新しい原子力発電所建設案を阻止する為の国民投票の期間中に、パドヴァ大学所属の社会学者フェルッチオガンビーノはこの論文を2011年5月に書いた。領土に運転中の原子力発電所はなく、軍隊は核兵器を持っていないと言明しているので、今のイタリアは原子力国家ではない。(だが、この非核的立場は、イタリア国内にある合衆国とNATOの空海軍基地には当て嵌められない。)つまり、この国民投票には、イタリアが原子力国家になることを阻止する意図があった。反原発決議は大差で可決された。著者は、“Less Pay, Fewer Benefits, More Radiation,” International Herald Tribune, April 11, 2011, p. 1, 6を書いたHiroko Tabuchiに感謝の意を表している。

1 イタリア語からの英訳はジョージカフェンシスによる。<jfissures>は彼の尽力に感謝したい。

 PDF (日本語)

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[An] Elementary Algebra of Common Goods and Evils

By Ferruccio Gambino

(Translated by George Caffentzis)*

1. Capitalism has used an elementary algebra of common goods and evils even before understanding and conceptualizing the meaning of common goods and evils. Once upon a time it used to be said that capital is for the socialization of losses and the privatization of profits. However, in some sectors, multiple advantages – of both profit and rent – are joined together in a perverse way with commonized evils. The nuclear sector provides an especially clear example of this phenomenon.

1.1 Water, wind, air and quite a few other elements of this planet, where 350 seismic tremors a day are recorded, are common goods as long as they are not polluted. When they are polluted, the goods leave a trail of remarkable disadvantages to all living creatures, and therefore become common evils. In order to become again common goods, the different polluted elements have to be “de”polluted, if it is possible. Only if and when they are reclaimed is it possible to turn them into common goods again. Water in general is a common good, but radioactive water released from a nuclear reactor after a meltdown is not any longer a common good, it is a common disaster, an evil coercively commonized and as such it is imposed upon society. Public and private authorities discharge damage on the entire surrounding population in an indeterminate (and often indeterminable) range with such a damaged plant.

1.2 Within the spectrum of industrial activity, the transformation of common goods into common evils is most evident in the case of nuclear power. Contrary to other sectors, the birth and expansion of the nuclear military was financed by state’s treasury, most especially in the US, but also in the USSR and other countries since the end of the 1930s (and for a long time) mainly for war purposes. Although the physicist Enrico Fermi was then of the opinion that nuclear energy is a wonderful new form of energy, even in the 1940s it should have been possible to ask why the push to develop it was above all the race to create the absolute weapon.

Following the war, however, nuclear power was sold to the public as energy with a peaceful end. It should be noted that for many reasons in the US the government was not and is not the direct financer of civilian nuclear plants; they are privately financed. However, the state protected investors in nuclear power plants with a crazy law that put a limit on the insurance costs of these plants in case of accidents and disasters. Nuclear reactors were government funded in the final instance, since this private liability limit was a small fraction of the eventual damage claims a serious accident at a nuclear plant would generate.

It is a fact that the danger and consequent fears of the “peaceful” atom have given popular legitimacy to the militarization – both in the public and private realms – of the entire atomic sector in all nuclear nations. There is much to say about this subject, but I will limit my remarks to a few observations.

1.3 Since the first decades of the “nuclear era,” the construction and running of nuclear plants in most countries has depended upon public funds and financing. Private capital has played a marginal role, providing almost homeopathic doses of cash, but private capital has been destined to sneak in, to have a managerial role in the plants and to profit from this role, with the consumers footing the bill. In the case of nuclear disasters, private capitalists are protected by a double armor: on the one side, the public treasury is the creditor of last resort and, on the other, the payment with public funds for the evacuations, the hospital bills and in the end the clean up of the nuclear waste. In other words, the private management of nuclear power has been subjecting large populations to blackmail under a continual, though muffled, reign of terror, while obtaining tax money from the public treasury with the excuse of dealing with emergencies.

1.4 The expense of maintaining and decommissioning the plants and the custody of the radioactive waste for thousands of years impose a tremendous tax and pollution burden on the population. In any case, the population is condemned to pay a tribute of blood and labor to the Minotaur for thousands of years. Sometimes, in a kind of endemic complicity, the state attempts and often succeeds in corrupting an overseas regime to bury the more dangerous waste on its coasts. It is an open secret that in the course of time the storage places that are filled with radioactive waste wrapped up in ridiculous barrels of cement are no better protected than if they were wrapped in velum. No one really knows what to do with nuclear waste and no one will remember how to dispose of it in the arc of the thousands of years that are necessary for it to be “de”-toxified.

1.5 There are about 627 nuclear power plants in the world that are producing electrical energy at the beginning of this second decade of the 21st century. Some of these plants have been damaged just years after their construction. In the longer period, there is the probability of the desertification of whole territories for thousands of square miles around damaged plants and not for years but for centuries. The consequences that would befall any large area in the case of a new nuclear program would be likewise: the creation of unapproachable deserts for a duration measured in biblical time.

1.6 In countries that are densely populated (such as Italy and Japan) the noxiousness to the environment of a damaged plant appears in two modes: in the first place, the radiation that effects the population in general and which generates serious illnesses from cancers to birth defects in a radius of thousands of square miles around the nuclear site—though still far from where the media personalities and the haute bourgeoisie live—in the second place, at a closer distance, the radioactivity that directly affects the workers in the plant. In both cases, it appears that space and distance is what determines the distribution of harm. In reality, however, this distribution follows from the criteria of the separation of classes and the position within a class and gender structure.

1.6.1. In the case of workers’ labor after a typical nuclear accident like the one at the Fukushima plant run by Tepco (Tokyo Electric Power Company) in the Spring of 2011, the division is starkly revealed between the few long-term workers paid directly by Tepco and the many precarious workers–considered unskilled and receiving the lowest wages–who are attached to contractors and a cascade of sub-contractors and who are to take care of the maintenance of the three stricken reactors at Fukushima as well as the other 52 nuclear reactors in 18 sites around Japan. The precarious workers constitute 88% of the 83,000 workers in the Japanese nuclear sector (with 73,000 precarious workers, to be more precise). At Fukushima, in the twelve months that preceded the nuclear disaster 89% of the

10, 303 workers had been placed in various steps in the wage ladder of the sub-contractors, with the salary and the danger increasing with the increase in the exposure to radioactivity. After the disaster, they faced the challenge of unsustainable levels of exposure of radiation while they cleaned the spent-fuel pools with mops and rags in order to open up a path for the inspectors and the technicians of Tepco. They had to work in intense cold in order to fill up trash cans with contaminated refuse.

As always in work that is very noxious, the recruitment always seems to take place in random settings: in rundown construction yards that have experienced a long period of crisis and seen much unemployment, among local poor rural workers and in labor gangs organized by local gangsters. Always and everywhere the precarious workers in nuclear sites are intended to hide the wounds and contusions they receive on the job, under penalty of immediate firing. After the disaster at Fukushima, the precarious workers were offered higher wages due to the general fear of radioactivity: about $350 a day for two hours of work; that is more than double of the preceding pay when the working day was longer. That is to say, they receive the wages of fear. The conditions of work were generally better during the 1990s when the exposure to radioactivity had decreased since the 1980s, but later the exposure began increasing again due to the increase of accidents in the obsolete plants, in spite of shorter work schedules.

In fact, the group of people sacrificed to radioactivity has not faded away; on the contrary, the sacrifice of human lives has become systemic: from each the absorption of his modicum of radiation, to each the loss of his job once the early symptoms of disease are detected (“his” since most of these workers are men). In short, it is a case of nuclear socialism.

[In Japan] the first trade union of precarious workers in the nuclear energy area was founded in the 1980s to contest this state of affairs with a platform of claims, conspicuous among which was the one concerning putting a stop to both fake data on the exposure to radiation and to the strict orders given to the workers to lie to the inspectors about how security procedures were being sidestepped. After the first 180 workers had signed up for the union, in democratic Japan, anonymous thugs smashed the doors of the apartments where union officials were staying and threatened them and their families. Clearly, nuclear power shapes democracy (not the other way around!) In brief, one needs to be quiet because, as they say in union circles, “when one enters a nuclear site, all is secret.”

1.7 Elaborated in the 1940s and 1950s in the military world, the paradigm of nuclear labor was constituted as a general paradigm of a tripartite division patterned on that of the armed forces: in the first and highest rung, the scientists, planners, and strategists, invisible in their Olympus but not totally secure; in the second rung, inspectors, technicians, and programmers with their stable jobs but also with a bit more exposure to dangerous radioactive materials; on the bottom rung, the precarious “service” workers, who constitute the “base force,” as they say in the navy. This scheme has been applied to an increasing number of workplace situations from the dockworkers of the US’s West Coast in the 1950s —separated in three rungs: the A-men, the B-men and the rest—to the contemporary plague of casual work that has hit and continues to hit stratum after stratum of workers in all the world.

Everyone manages exactly the danger that emanates from their jobs. The management of fear and illness is a private and solitary affair, thanks to the casual collection and secrecy of sensitive data in the health statistics kept by the power companies, at least until the affected people organize themselves, as they have begun to do in the US.

1.8 Nuclear power plants require a nuclear state. The nuclear state can even have a patina of democracy, in the sense that it permits regular elections where one votes to choose in whom the executive power will be vested. In reality, however, one votes only in order to show that one is “de-voted”[to regimentation]. To be a voter is the inevitable deceit in the nuclear state. [Morevover, the nuclear state cannot permit any discontinuity in the discipline of the population and in the regular flow of lies], whatever the list of candidates that win the elections.

1.9 The absence of reliable information is one of the characteristic traits of the nuclear state. It was and is a great forge of falsehood in both East and West. The nuclear state’s repression of information and plain fraud is far greater than the diplomatic lies that Wikileaks has so well documented in 2011. This secrecy is an instrument of the perverse solidarity of the nuclear ruling class, it is part of their complicity with the narco-information given to the population which is expected to submit passively and live in a no man’s land, where nuclearization is a state of enclosure promoted by state power and legalized and enforced by the monsters of so-called “governance.”

*Translator’s Note: The above article was written by Ferruccio Gambino, a sociologist at the Univesity of Padova, in May 2011 during a campaign to pass a national referendum resolution barring the construction of new nuclear power plants in Italy, as the Berlesconi government had planned. Italy is not now a nuclear state, since it does not have any operational nuclear power plants on its territory and its military does not claim to have nuclear weapons. (Although this nuclear-free status cannot be applied to the US and NATO air and naval bases on Italy’s soil.) Thus, the referendum resolution was intended to stop Italy from becoming a nuclear state. The anti-nuke resolution passed by a wide margin. The author expresses his thanks to Hiroko Tabuchi who wrote “Less Pay, Fewer Benefits, More Radiation,” International Herald Tribune, April 11, 2011, p. 1, 6.

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